Quantcast
Viewing all articles
Browse latest Browse all 4603

「忠臣蔵」英語で上映、サブタイトルとナレーションは英語で

「忠臣蔵」英語で上映、サブタイトルとナレーションは英語で



いい英語の勉強になりますよ。日本語と英語。これは外国で放送されたものだろう。昔私は「おしん」の英語バージョンをアメリカに住んでいた時に見たことがあります。
なかなか、この忠義心、外国人には伝わるかどうか、外国人は、SAMURAIの文字にはとても興味を持っているようです。


12月14日、この日はなんの日かと問われても、いまの若い人達は気が付かないかもしれない。おじいちゃんたちならすぐに
「赤穂浪士の討ち入り」の日だろうって答えそうだ。かくいう私は、私の弟の生まれが12月14日だったから、このことは
よく覚えているのですが、日本人にとっての美談、「仇討ち」はこれからも語り続けられるだろう。

元禄14年3月14日(西暦1701年4月21日)、播州赤穂藩主の浅野内匠頭長矩が、高家旗本・吉良上野介義央に対して江戸城殿中において刃傷に及ぶ。
浅野内匠頭は殿中抜刀の罪で即日切腹となり赤穂藩は改易となった。遺臣である大石内蔵助良雄以下赤穂浪士47名(四十七士)が翌15年12月14日
(1703年1月30日)深夜に吉良屋敷に討ち入り、主君が殺害しようとして失敗した吉良上野介を家人や警護の者もろとも殺害した。この一連の事件
を「赤穂事件」といい、後に忠臣蔵として人形浄瑠璃の題材として語られた

詳しくは上にある動画を見てもらえれば、上手くまとめられた解説もあるので、ぜひご覧になっていただきたい。

Image may be NSFW.
Clik here to view.


300年の月日が流れてもなぜ、この忠臣蔵が日本人の心を掴んで離さないのか…
・主君の無念を晴らし,かたき討ちをすることで主君に恩返しをするため。
・喧嘩(けんか)両成敗(りょうせいばい)のはずが,吉良上野介はおとがめ
  なしという幕府の不正な裁(さば)きに反対し,世に問うため。
・武士としての面目を保つため。
こんなことが挙げられるが、そこには大石内蔵助の人柄、敵を油断させて一気に攻め入るその巧妙さも。
日頃から「馬鹿呼ばわり」されていて、仇討ちなどしないよ…と回りにも吹聴していた。しかし水面下では緻密な作戦と連絡網を築いていた。
主君の無念を晴らすため、首を打ちとったとしても全員切腹は免れない。メンバーの中にも若者が多く、最年少は15歳の大石主税。
最年長は堀部弥兵衛の76歳!ちなみに、大石内蔵助は45歳であった…

2013.12.11(水) 4,146 PV

Viewing all articles
Browse latest Browse all 4603

Trending Articles