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人の死というものを考える、私なら音楽葬

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身内が亡くなって「人の死」」を考える



人の死というのは、身内にとっては悲しい出来事です。人と言わず、生きとし生けるものには「生があれば死がある」

魂の存在というものを信じる人、信じない人がありますが、私は必ずあると思っています。暮らす場所が変わるだけ。

齢(よわい)85歳ですし、病院で長い間病に伏していたので突然と言えば、突然ですが、心の準備はできていました。

でもね、悲しんでばかりじゃ浮かばれない。「元気で」というのはおかしいが、しっかり旅立ちができるように、祈って

あげたい気持ちです。朝から、色んな手続き、手配、連絡などてんてこ舞いでした。静かに、家族葬で見送ります。

病院にお見舞いに行って、別れるときにいう私の決め台詞は「達者でな~!」。あえて、明日もこの言葉で送ります。


私なら…音楽葬♫


最近は型にはまらない、色んなスタイルの葬儀が出てきていますね。私なら、自分を思い出してもらうにはやっぱり

これかな?「海風」の曲をBGMに流し、大型のスクリーンにライブの映像を流しながら、忍んでもらいたいなって…

考えるんですね。わがままでしょうか?でも、最後くらいはこんなわがままも聞いてもらえるかなって思うのです。

祭壇の横には、Martin D-28とOvationを立てかけて、そうそう、それから愛用のWilsonのラケットとボールも置きたい。


こんな遺影もいいかな…横顔だけど。


こんなのもいいかな…「イチバン!」


それとも、お決まりのポーズ「ダーッ!」これかな。やっぱりサングラスかけてちゃダメかな?


こんな時だからこそ

今は、通夜の深夜ですが、パソコンを持ち込んで、仕事もしながら夜が明けるのを待っています。葬儀は昼からですが…

人は、いつ自分が死ぬかってわからないから、準備もしていません。こんな時だからこそ、ちょっと考えてみました。


2015.10.30(金)3017PV

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